ナチュログ管理画面 釣り 釣り 北海道・東北 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報

2013年02月01日

釣れないの嗜み

おはようさんです(`・ω・´)

この記事は過去に他サイトで掲載したものですが、そのサイトを閉じたので

単に個人的な記録として紹介させて頂きます。

前サイトから御世話になっている方々は既に読まれているものかもしれませんが、

この時の気持ちは今も同じなので。


勿論アングラーの皆さんからすれば"今更わかりきった事を"という内容も多々ありますが、そこは御了承下さい(笑)








~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


”釣れないの嗜み”






私は下手くそである。


なのでボウズの釣行は珍しくない。



普段は"起きれない男"No.1の座を欲しいままにしているこの私だが、こと釣りに関してだけは違う。


真夜中に自ら強制的に身体をしばき起こし、自動で降りる瞼をグリグリと擦りながら、熊鈴の音と共に意気揚々と玄関を飛び出ていくのだ。


山から山へ駆けめぐり、結果ボウズで釣りを終え家に戻ると


「なーんだ釣れなかったか」

「あーあ、残念だったな」


と、家族は落胆と同情の入り交じった表情で慰めの言葉をかけてくれる。

有り難い気遣いではある。


だが、その度に私は内心戸惑ってしまい「ん、あぁ。」と言う程度の雑な返答をしてしまうのだ。


何故ならば、釣果があろうとなかろうと、いや…それは勿論釣果があった方が楽しいには違いないが、実際釣れない釣行の場合でも私の心は落胆どころか楽しい気持ちで満ちているからである。


つまり私の気持ちと同情してくれる人の気持ちに明らかな温度差があるということ。


かといって第三者、まして釣りをしない立場から見れば"釣り"="釣ってなんぼ"、all or nothingの世界という印象になるのは尤もな感覚だと思うし、おそらくはそう考えるアングラーも少なくはないだろう。

釣りのスタンスは人それぞれ、異なった感覚に理解を得るのは難しいし、そもそも得ようと思うこと自体が間違っているのかもしれない。




しかし"釣れない釣り"、もとい"釣れる事が困難な釣り"だからこそ、そうでなくては味わえない楽しさが存在するという事をせっかくなのでここに綴ってみようと思う。




それは先ずひとつに「考える」楽しさ。



"渓流は美しい。"


原始のままの力強さを感じさせる生命感溢れる森、涼やかな風に瑞々しくそよぐ木々の青さ、岩々に複雑に絡み合い流れゆく穏やかな清流、鳥のさえずり。

渓流釣りとはそういった素晴らしいフィールドで竿を振るという風光明媚な趣味である。


しかし、実際は他の釣りに比べてそんなコンディションの良い状態で釣りが出来るタイミングはめったに無い、過酷な釣りというのが本当のところ。

たった半年のシーズンの中、春は積雪・低水温、夏は渇水と高水温、秋の大水、雨が降れば濁流大増水。

身の危険を感じることは数知れない。

ただでさえ気難しい渓魚をそんな困難な環境下で、その上ルアーで狙うという極めてマゾヒスティックな行為と言えるかもしれない。

たまたま活性が上がった時はさておき、それ以外ではそんな簡単には釣れやしないのだから。

ましてや下手くそな私はまぁ釣れない(笑)

しかし、釣れないからこそ、下手ならば下手なりに釣り人は考えを巡らせる。

川の状態に合わせたアプローチの仕方、レンジ、スピードその他諸々。

しかしそれは誘い方だけの話ではない。

例えば増水でいつもの川が釣りにならなければ、地図を開き想像力をフル稼働させ、過去の記憶の引き出しを片っ端から開け放ち、可能性を求め新たな川を探し、開拓する。

困難な状況があるからこそ未知の川に立ち、実際に自分の目で見ることで経験と知識を重ねることが出来る。

つまり、考え学ぶ楽しさは困難無しには成立しない。

だから私は釣りにならないような困難な状況も有り難いとさえ思っている。

多分、いつでも簡単にいくらでも釣れるような釣りであったなら、こんなにのめり込んだりしなかったろう…。

安っぽい言い方をするならば、それはある種の「冒険の旅」。

大人になってからじゃそうそう体験できない感覚と胸の高鳴りがそこにはある。



そして二つ目に、「渓流に釣りに行く」という行為そのものに含まれる楽しさ。


私は1人の釣行も度々するし、場合によっては釣り仲間と3人で賑やかに行く場合もあるが、基本的には2人で行く釣行が好きだ。


日も出ていないうちに待ち合わせをし目的地へと車を走らせ、初めのうちこそ「今日の水量は…」「気温上がったから活性が…」「あのポイントに去年でっかいのが…」なんて言い合っているのだが、道程は長く、そんなミーティングも空が青く滲む頃には次第に話題が変わる。

互いの悩みや様々な事に対する素直な気持ちが口をつくようになる。


普段言えないことを口にするというのは酒の席ではよくあることだが、それとは全く質が違う。



いい大人とは思えないくらい瞳は澄み、薄紫の空と朱色の光に包まれたその表情は、まるで無垢な少年のようにいつの間にか変わっている。



それは兄貴も、同僚も、上司も、友達も皆同じ。そして多分私も。

心が少年に戻り、無垢な言の葉がお互いの口から溢れていく。

もし話が込み入ると泣いちまいそうになるくらい‥、そんな不思議な時間が幻想的な異空間の様で、私はたまらなく大好きなのだ。

無垢な人の心は、言葉は、かくも美しい。


(捉え方によっては誤解を招くので釘を刺しておくが、私はBLにはさらさら微塵も興味は無い)



そんな道程を含め、例え釣果がどんな結果になろうとも、一回一回の釣行には文字には表せないほどのドラマがある。


それは"釣れない釣り"がもたらす嗜みに他ならないのではないだろうか。






釣れないの嗜み







同じカテゴリー(釣話)の記事画像
ハンドメの進捗
それでも私は魚籠を下げる
同じカテゴリー(釣話)の記事
 ハンドメの進捗 (2015-03-28 01:46)
 それでも私は魚籠を下げる (2012-12-27 00:44)

この記事へのコメント
.
お疲れ様です。

…スミマセン。

ナチュラムのブログになかなか入れなくて、少し手間取ってしまいました。

(以前にも書き込んだ内容かもしれませんが、)

「私達の遊び方」はもしかしたら「釣り」本来の意味から考えると、少し離れた所にあるのかも知れませんよね。

「澄み渡る空の下、子を抱く様な清流の香り…。」

「新緑の木々の影、身を刺す様な太陽の光…。」

そんなシチュエーションの中で、私達が敢えて手にした遊び道具は「ルアー」という「人工物」。

「釣れてナンボ?」

(…いや、)

「釣れなくてもナンボでしょ!」

私達の遊びは、

「自然に挑戦する事」

「自然と遊ぶ事」

そして、

「自然から学ぶ事」

だと思います。

ルアーという人工物を通して、

「母なる自然の感性を身に宿していく事」

その道程が「私達の遊び方」ではないかと私は感じています。

クロネさん、あちらでは大変お世話になりました。

これからも、どうぞ宜しくお願い致します。

PS
いつか、一緒にロッドを降れたら楽しいでしょうね。
.
Posted by THANKS at 2013年02月02日 01:10
はじめまして!
soraと申します。
素敵なブログを発見してしまいました(^-^)
同じ趣味を楽しむ者として、
リンクさせてください!よろしくお願いします。
Posted by sora at 2013年02月02日 10:02
THANKSさん>

来てくれて有難うございます!^^

ちゃっかりおんなじ記事貼っちゃってすいません(笑)

いや~・・本当にTHANKSさんの綴る文章は何度読み返してもうっとりしてしまいます。

心の豊かさ、温かさがにじみ出てますよ^^

これからもどうか、宜しく面倒見て下さいm(_ _。)m


あ!追記の件、私も心底そんな場面が来ることを願っています。

勿論、"夢"なんかで終わらせるつもりは毛頭ありませんよ!

絶対ご一緒させて下さい!!^^
Posted by くろね at 2013年02月02日 19:32
soraさん>

はじめまして!

先ほどsoraさんのブログお邪魔してきました♪

なんてこった!!ビルダーさんでしたか!(*゚▽゚*)

お目に留めて頂きまして嬉しいです^^

まだまだ素人同然の私ですが、本当にこの趣味は大好きです。

失礼ながら私もリンクさせて頂きますね♪

乱文だらけの拙い文章ではありますが、これからもどうか宜しくお願いします!
Posted by くろね at 2013年02月02日 19:52
考える釣りは俺も好き!


簡単な釣りはつまらないね( ・_・)


ほかの楽しみ方は今後教えてくださいm(_ _)m笑
Posted by 蛍 at 2013年02月03日 20:06
蛍さん>

知ってくるくせにぃ(*´д`*)(笑)

俺も蛍くらいこの趣味に没頭したいもんさ。

大真面目に取り組むからこその面白さ、

勉強さしてもらってます♪
Posted by くろねくろね at 2013年02月03日 20:58
私もフィールドには癒しと刺激を求めて足を運んでいます。
渓も磯もその点では全く同じですね。

自然を知り、自然に逆らわず融合できればと常に思っていますが
これが中々難しいw

動物であれば獲る=生きる為ですが、
我ら人間には各々に深く入り組んだ嗜好があり、
また釣法があるわけですな。

同じヤマメを対象魚とした釣り方でもメソッドは千差万別。
釣り後の楽しみ方も然り。

色々な考えのアングラーがいますから、
常に相手をリスペクトできるようにとは心がけてはいます。
Posted by たーきーたーきー at 2013年02月04日 17:18
たーきーさん>

同じ釣りとはいえ、ホントに人によって十人十色ですよね。

例え似通ったスタイルだったとしても、その人にしか見えていない世界観が必ず存在していると思います。

それぞれの中に異なる絵がある。それは、何より素晴らしい事実。

誰の話を聞いても、勉強になり、新たな視点を学ぶことが出来る。

だからこそ、釣り人同士の会話は大好きなんです私(笑)

今度ゆっくり釣り談義しましょうよ♪

たーきーさんの世界観は特別濃厚そうですしね~(●´艸`)
Posted by くろねくろね at 2013年02月04日 21:58
「釣れないからこそ学べること」
これ、だいぶでかいと思います。
いつも釣れてると、いざ釣れなかった時に
「今日は調子が悪かった」
で済ませてしまうことになりかねません。
私は本流の釣りも大好きなので釣れないことだって度々ですが、
ちゃんとしたテーマを持って釣りをする。
「よし、今日はこれを頑張る」
それが達成されるかは置いておいて、
良かったか
悪かったか
それは魚が教えてくれます。

あなたのブログを読んでいると
ついつい引き込まれてしまいます。(笑)
Posted by たけちゃんω∩ at 2013年02月05日 20:09
たけちゃんω∩さん>

"テーマを持って釣りをする"

素晴らしい心がけ^^俺も見習わねば!

俺なんて釣れないとつい色んな考えが交錯して結果的にこんがらがって終わる事が多いんで、きっとそれってスゴく有効だよね♪参考にさせてもらおう^^

それとお褒めの言葉、恐縮ですw
Posted by くろねくろね at 2013年02月06日 21:39
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
釣れないの嗜み
    コメント(10)