2013年02月24日
ベストを脱ぐという選択
♪Jamiroquai / Sunny
いいなぁ・・こんな曲をこんな風に唄えたらどんなに気持ち良いだろう。。
数多のアーティストがカバーしたBobby Hebbの名曲「Sunny」。
ジェームス・ブラウンバージョンの熱すぎる高揚感も捨てがたいけれど、ジャミロクアイのなんと楽しそうなこと。
Groovin!!音が生きてるわ。
それはさておき、
皆さんこんばんは!(`・ω・´)ノ
秋田解禁までひと月を切ったところで、最近新たに仕入れた装備について書こうと思います。
その装備というのがコレ


SIMMS
Headwater 1/2 Daypack
&
Headwater Chestpack
Headwater 1/2 Daypack
&
Headwater Chestpack
渓流とはいえより源流に近い上流域での釣りをする機会が多いこの私。
ルアーワレットの取り出しやすさという利点から、昨シーズンまではSIMMSのバーチカルベストを使用していました。
(何かとSIMMSが多いですが、これは別段ブランド嗜好というわけではなく単純に機能性の豊富さが理由です(笑))
しかし今年からカメラを持つという事に加え、万が一の為にリールのスペアも携行したいし、
川通しで詰める時なんかはちょっとした食料やコーヒー器具も携行できれば・・・
等という欲が以前から有り、キャパシティの面でベストでは少々物足りなく感じていました。
そんな中昨シーズン、釣りを教えてくれた師匠でもある先輩がベストでは無くSIMMSのTechpack(デイパック&チェストパックのセット)という装備を使用していたのを横目に見ながら、
いいないいなと~は思いつつ昨年は個人的財政の都合もあり手を出せずに耐えていました。
そしていよいよ欲求が臨界点を越え、
満を持して決意し同じものを探してみたのですが・・・・
いくら探せども生産中止・在庫無しのオンパレード( ;;;´△`)
まったく、、己のタイミングの悪さに反吐が出ます(笑)
それでも長い間諦めずに、小さな釣具屋のHPなんかを漁り続けて、ようやく購入に至りました。
ちなみに私のこの組み合わせは、正式にはTechpackそのものではありません。
Techpackを探し続けてようやく見つかったのがなんとデイパック部分のみ、チェストパックはありませんとのことで(苦笑)
なのでこのチェストパックはまた別の単体商品なんです。
いざ実物を前にしてみると、思っていたよりデイパックの収納キャパが小さい、チェストパックがかなり出っ張る。
うん…改めてベストという収納具のバランスの良さを実感しました(ぇ
あ!いやいや、
率直に言い放っちまいましたがそうは言ってはみてももちろんこのバッグに利点が多い事には違いはありませんよ。
単純にベストに慣れていたのでまだ感覚がわからないってだけの事で(´∀`)
思っていたより小さかったとはいえベストには収納出来なかった様々な物を搭載するには充分な容量(11ℓ)はあるし、
重心が高い位置になるよう設計されている為軽快性は高く、
実際装着してみるとチェストの出っ張りもそれ程気になるわけでもない。
おまけにシビアなへつりや藪こぎ時にはなんとチェストを後ろに付け替えられるというフレキシブルな機能もある。
今年はこのスタイルで、源流を更にアグレッシヴに楽しみたい・・・膨らむ期待で今からワクワクしております^^
”ベストからバッグスタイルへ”
より山岳釣行に特化したスタイルへの転身。
何が正解なんて無い。
楽しみ方は人それぞれですが、こんな選択肢も有りではないでしょうか^^
※重装備になる事により、こないだ意気揚々とポリシーの様に宣言した"魚籠"がさすがに邪魔になるなぁ・・なんて思ったり思わなかったりしているのは内緒です(爆)
2013年02月11日
音楽の話
暫くぶりにベースを持ってみる。
Stevie Wonder/SUPERSTITION(アレンジ)
すいません、いきなりやかましかったですね(苦笑)(´・ω・`)
実は私、こないだまでサイケブルーズバンドでベースを弾いとりました。
リーダーの都合により実質バンドは休止状態(一時解散?)なので今はのんびりしております。
明確な解散宣言はされてないので油断はできませんけどねw
こうしてベースを弾いてみると、久々にライブでもやりたいなぁ・・なんて思いつつ、
ハードスケジュールとぶっつけライブの恐ろしさを思い出しながら複雑な心境になります(笑)
さて、ということで今回は釣りとは全く関係無い話題になってしまいますが、
私の核のひとつである"音楽"の話でもしてみようと思います!
これより先は笑いどころもあまり無いコアな内容になってしまいますので、
音楽興味の無い方はスルーして下さい(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
リールの話でも書いた通り、私は基本的に“古き良きもの”に弱い。
しかし私のそうした変態懐古主義は何も釣りから始まったわけではない。
きっかけは音楽。
そう、私は古き良き音楽が好きなのだ。
特に愛して止まないのが、いわゆるルーツと呼ばれる初期のSOULやRythm&Blues、FUNK、BLUES、Rock&Roll、JAZZ等のブラックミュージック。
※これはどうでもいい話だが、私がネットを始めてから長い事使用している
この「くろね」という名前も実はそれがルーツだったりする。
ブラックミュージック ⇒ 黒人音楽 ⇒ 黒音 ⇒ くろね
決して黒猫でもなんでもない。・・・黒猫も飼ってはいるが(笑)
まぁそれはさておき(爆)
そもそもの始まりはやはりベース。
小学校の頃に兄にベースを持たせてもらい、中学校でハイスタンダードに没頭し、
高校に上がると同時に私は洋楽に興味を持ち始めた。
無論初めの頃はスタンダードに”洋楽・ロック”の代名詞的なアーティストばかりを
何の躊躇いもなく聴いていた。
そんな中徐々にフレーズを耳コピする事を覚え始め、
安易なベースラインを弾くことに倦怠感を感じ”もう辞めようか”と思っていた時、
Red Hot Chili Peppers(いわゆるレッチリ)と衝撃的に出会う。
「こんなに難しい、カッコイイフレーズが存在したのか!」
若い私にとってそれは並々ならぬ魅力的な音楽だった。
すっかり夢中になった私はスラップ(チョッパー)奏法に夢中になり、
真冬でも半裸でベースを叩き続けていた(爆)
(ちなみに当時は当たり前の様にピック弾き全盛の時代だったので、
周りにベースを叩く人はまるでいなかった)
そうして過ごしているうちに、
私はレッチリのベーシストであるFLEAのルーツが気になりだした。
様々な情報をかき集め、
彼の中に根深く存在していたのが「FUNK」という黒人音楽だと知る。
「なるほど・・このカッコ良さの根源は”FUNK”だったのか・・・」
そうと知るやすぐに私はイノウエレコードにて
ファンカデリックという70年代のファンクバンドのアルバムを注文した。
(↑これが時代回帰癖の始まり)
と、いうわけで私はまんまとそのFUNKにドハマりし、
そこから横づたいに順調にブラックミュージックの虜となったわけだ。
一時ギターに手を染めブルーズ一色になった時期もあったが、
社会人になってからは友達もちりちりバラバラになりベースを弾く機会も減り、
純粋にリスナーとしてSOUL・Rythm&Bluesを主に聴く事が多くなった。
ルーツミュージック、黒人音楽というと古臭いイメージで
とっつきにくいイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれないが、
案外現在もCMや街中でも結構流れていたりする程、
知らぬ間に人々の耳に染み付いている身近な音楽だったりもする。
もしも音楽に興味のある方がいるならば、気が向いたら試しにゆったり聞いてみて欲しい。
もしかしたらその一曲が、貴方の中の”何か”を変える、なんて事があるかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いないとは思いますが、気になる方にはおすすめのアーティストいくらでも紹介できます(笑)
あ、ちなみにバンドは一昨年突然仕事上お取引先の社長さんに勧誘して頂き
知らぬ間に参加する事になっていました。
3人編成で、バンドのニュアンス的にはジミヘンのバンドと
クリームがごちゃごちゃになって現代に蘇ったような感じ。
何度かライブはやりましたが、
ほぼリーダーが私の書く英語の歌詞を覚えられず、
その上楽譜も読めない3人なので曲決めたにも関わらずそれを無視し、
練習もせず毎度途中からぶっつけセッション状態になってしまう危険なバンドでした(笑)
かなりスケジュールはハードでくたばりそうになりましたが、
私60~70年代のロックも・・・というか「WOODSTOCK’69」が
大好きなもんで割と楽しかったです^^
て・・
あそっか、まだ解散したわけではなかったっけ(爆)

Stevie Wonder/SUPERSTITION(アレンジ)
すいません、いきなりやかましかったですね(苦笑)(´・ω・`)
実は私、こないだまでサイケブルーズバンドでベースを弾いとりました。
リーダーの都合により実質バンドは休止状態(一時解散?)なので今はのんびりしております。
明確な解散宣言はされてないので油断はできませんけどねw
こうしてベースを弾いてみると、久々にライブでもやりたいなぁ・・なんて思いつつ、
ハードスケジュールとぶっつけライブの恐ろしさを思い出しながら複雑な心境になります(笑)
さて、ということで今回は釣りとは全く関係無い話題になってしまいますが、
私の核のひとつである"音楽"の話でもしてみようと思います!
これより先は笑いどころもあまり無いコアな内容になってしまいますので、
音楽興味の無い方はスルーして下さい(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
リールの話でも書いた通り、私は基本的に“古き良きもの”に弱い。
しかし私のそうした変態懐古主義は何も釣りから始まったわけではない。
きっかけは音楽。
そう、私は古き良き音楽が好きなのだ。
特に愛して止まないのが、いわゆるルーツと呼ばれる初期のSOULやRythm&Blues、FUNK、BLUES、Rock&Roll、JAZZ等のブラックミュージック。
※これはどうでもいい話だが、私がネットを始めてから長い事使用している
この「くろね」という名前も実はそれがルーツだったりする。
ブラックミュージック ⇒ 黒人音楽 ⇒ 黒音 ⇒ くろね
決して黒猫でもなんでもない。・・・黒猫も飼ってはいるが(笑)
まぁそれはさておき(爆)
そもそもの始まりはやはりベース。
小学校の頃に兄にベースを持たせてもらい、中学校でハイスタンダードに没頭し、
高校に上がると同時に私は洋楽に興味を持ち始めた。
無論初めの頃はスタンダードに”洋楽・ロック”の代名詞的なアーティストばかりを
何の躊躇いもなく聴いていた。
そんな中徐々にフレーズを耳コピする事を覚え始め、
安易なベースラインを弾くことに倦怠感を感じ”もう辞めようか”と思っていた時、
Red Hot Chili Peppers(いわゆるレッチリ)と衝撃的に出会う。
「こんなに難しい、カッコイイフレーズが存在したのか!」
若い私にとってそれは並々ならぬ魅力的な音楽だった。
すっかり夢中になった私はスラップ(チョッパー)奏法に夢中になり、
真冬でも半裸でベースを叩き続けていた(爆)
(ちなみに当時は当たり前の様にピック弾き全盛の時代だったので、
周りにベースを叩く人はまるでいなかった)
そうして過ごしているうちに、
私はレッチリのベーシストであるFLEAのルーツが気になりだした。
様々な情報をかき集め、
彼の中に根深く存在していたのが「FUNK」という黒人音楽だと知る。
「なるほど・・このカッコ良さの根源は”FUNK”だったのか・・・」
そうと知るやすぐに私はイノウエレコードにて
ファンカデリックという70年代のファンクバンドのアルバムを注文した。
(↑これが時代回帰癖の始まり)
と、いうわけで私はまんまとそのFUNKにドハマりし、
そこから横づたいに順調にブラックミュージックの虜となったわけだ。
一時ギターに手を染めブルーズ一色になった時期もあったが、
社会人になってからは友達もちりちりバラバラになりベースを弾く機会も減り、
純粋にリスナーとしてSOUL・Rythm&Bluesを主に聴く事が多くなった。
ルーツミュージック、黒人音楽というと古臭いイメージで
とっつきにくいイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれないが、
案外現在もCMや街中でも結構流れていたりする程、
知らぬ間に人々の耳に染み付いている身近な音楽だったりもする。
もしも音楽に興味のある方がいるならば、気が向いたら試しにゆったり聞いてみて欲しい。
もしかしたらその一曲が、貴方の中の”何か”を変える、なんて事があるかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いないとは思いますが、気になる方にはおすすめのアーティストいくらでも紹介できます(笑)
あ、ちなみにバンドは一昨年突然仕事上お取引先の社長さんに勧誘して頂き
3人編成で、バンドのニュアンス的にはジミヘンのバンドと
クリームがごちゃごちゃになって現代に蘇ったような感じ。
何度かライブはやりましたが、
ほぼリーダーが私の書く英語の歌詞を覚えられず、
その上楽譜も読めない3人なので曲決めたにも関わらずそれを無視し、
練習もせず毎度途中からぶっつけセッション状態になってしまう危険なバンドでした(笑)
かなりスケジュールはハードでくたばりそうになりましたが、
私60~70年代のロックも・・・というか「WOODSTOCK’69」が
大好きなもんで割と楽しかったです^^
て・・
あそっか、まだ解散したわけではなかったっけ(爆)
2013年02月01日
釣れないの嗜み
おはようさんです(`・ω・´)
この記事は過去に他サイトで掲載したものですが、そのサイトを閉じたので
単に個人的な記録として紹介させて頂きます。
前サイトから御世話になっている方々は既に読まれているものかもしれませんが、
この時の気持ちは今も同じなので。
勿論アングラーの皆さんからすれば"今更わかりきった事を"という内容も多々ありますが、そこは御了承下さい(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”釣れないの嗜み”
私は下手くそである。
なのでボウズの釣行は珍しくない。
普段は"起きれない男"No.1の座を欲しいままにしているこの私だが、こと釣りに関してだけは違う。
真夜中に自ら強制的に身体をしばき起こし、自動で降りる瞼をグリグリと擦りながら、熊鈴の音と共に意気揚々と玄関を飛び出ていくのだ。
山から山へ駆けめぐり、結果ボウズで釣りを終え家に戻ると
「なーんだ釣れなかったか」
「あーあ、残念だったな」
と、家族は落胆と同情の入り交じった表情で慰めの言葉をかけてくれる。
有り難い気遣いではある。
だが、その度に私は内心戸惑ってしまい「ん、あぁ。」と言う程度の雑な返答をしてしまうのだ。
何故ならば、釣果があろうとなかろうと、いや…それは勿論釣果があった方が楽しいには違いないが、実際釣れない釣行の場合でも私の心は落胆どころか楽しい気持ちで満ちているからである。
つまり私の気持ちと同情してくれる人の気持ちに明らかな温度差があるということ。
かといって第三者、まして釣りをしない立場から見れば"釣り"="釣ってなんぼ"、all or nothingの世界という印象になるのは尤もな感覚だと思うし、おそらくはそう考えるアングラーも少なくはないだろう。
釣りのスタンスは人それぞれ、異なった感覚に理解を得るのは難しいし、そもそも得ようと思うこと自体が間違っているのかもしれない。
しかし"釣れない釣り"、もとい"釣れる事が困難な釣り"だからこそ、そうでなくては味わえない楽しさが存在するという事をせっかくなのでここに綴ってみようと思う。
それは先ずひとつに「考える」楽しさ。
"渓流は美しい。"
原始のままの力強さを感じさせる生命感溢れる森、涼やかな風に瑞々しくそよぐ木々の青さ、岩々に複雑に絡み合い流れゆく穏やかな清流、鳥のさえずり。
渓流釣りとはそういった素晴らしいフィールドで竿を振るという風光明媚な趣味である。
しかし、実際は他の釣りに比べてそんなコンディションの良い状態で釣りが出来るタイミングはめったに無い、過酷な釣りというのが本当のところ。
たった半年のシーズンの中、春は積雪・低水温、夏は渇水と高水温、秋の大水、雨が降れば濁流大増水。
身の危険を感じることは数知れない。
ただでさえ気難しい渓魚をそんな困難な環境下で、その上ルアーで狙うという極めてマゾヒスティックな行為と言えるかもしれない。
たまたま活性が上がった時はさておき、それ以外ではそんな簡単には釣れやしないのだから。
ましてや下手くそな私はまぁ釣れない(笑)
しかし、釣れないからこそ、下手ならば下手なりに釣り人は考えを巡らせる。
川の状態に合わせたアプローチの仕方、レンジ、スピードその他諸々。
しかしそれは誘い方だけの話ではない。
例えば増水でいつもの川が釣りにならなければ、地図を開き想像力をフル稼働させ、過去の記憶の引き出しを片っ端から開け放ち、可能性を求め新たな川を探し、開拓する。
困難な状況があるからこそ未知の川に立ち、実際に自分の目で見ることで経験と知識を重ねることが出来る。
つまり、考え学ぶ楽しさは困難無しには成立しない。
だから私は釣りにならないような困難な状況も有り難いとさえ思っている。
多分、いつでも簡単にいくらでも釣れるような釣りであったなら、こんなにのめり込んだりしなかったろう…。
安っぽい言い方をするならば、それはある種の「冒険の旅」。
大人になってからじゃそうそう体験できない感覚と胸の高鳴りがそこにはある。
そして二つ目に、「渓流に釣りに行く」という行為そのものに含まれる楽しさ。
私は1人の釣行も度々するし、場合によっては釣り仲間と3人で賑やかに行く場合もあるが、基本的には2人で行く釣行が好きだ。
日も出ていないうちに待ち合わせをし目的地へと車を走らせ、初めのうちこそ「今日の水量は…」「気温上がったから活性が…」「あのポイントに去年でっかいのが…」なんて言い合っているのだが、道程は長く、そんなミーティングも空が青く滲む頃には次第に話題が変わる。
互いの悩みや様々な事に対する素直な気持ちが口をつくようになる。
普段言えないことを口にするというのは酒の席ではよくあることだが、それとは全く質が違う。
いい大人とは思えないくらい瞳は澄み、薄紫の空と朱色の光に包まれたその表情は、まるで無垢な少年のようにいつの間にか変わっている。
それは兄貴も、同僚も、上司も、友達も皆同じ。そして多分私も。
心が少年に戻り、無垢な言の葉がお互いの口から溢れていく。
もし話が込み入ると泣いちまいそうになるくらい‥、そんな不思議な時間が幻想的な異空間の様で、私はたまらなく大好きなのだ。
無垢な人の心は、言葉は、かくも美しい。
(捉え方によっては誤解を招くので釘を刺しておくが、私はBLにはさらさら微塵も興味は無い)
そんな道程を含め、例え釣果がどんな結果になろうとも、一回一回の釣行には文字には表せないほどのドラマがある。
それは"釣れない釣り"がもたらす嗜みに他ならないのではないだろうか。

この記事は過去に他サイトで掲載したものですが、そのサイトを閉じたので
単に個人的な記録として紹介させて頂きます。
前サイトから御世話になっている方々は既に読まれているものかもしれませんが、
この時の気持ちは今も同じなので。
勿論アングラーの皆さんからすれば"今更わかりきった事を"という内容も多々ありますが、そこは御了承下さい(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”釣れないの嗜み”
私は下手くそである。
なのでボウズの釣行は珍しくない。
普段は"起きれない男"No.1の座を欲しいままにしているこの私だが、こと釣りに関してだけは違う。
真夜中に自ら強制的に身体をしばき起こし、自動で降りる瞼をグリグリと擦りながら、熊鈴の音と共に意気揚々と玄関を飛び出ていくのだ。
山から山へ駆けめぐり、結果ボウズで釣りを終え家に戻ると
「なーんだ釣れなかったか」
「あーあ、残念だったな」
と、家族は落胆と同情の入り交じった表情で慰めの言葉をかけてくれる。
有り難い気遣いではある。
だが、その度に私は内心戸惑ってしまい「ん、あぁ。」と言う程度の雑な返答をしてしまうのだ。
何故ならば、釣果があろうとなかろうと、いや…それは勿論釣果があった方が楽しいには違いないが、実際釣れない釣行の場合でも私の心は落胆どころか楽しい気持ちで満ちているからである。
つまり私の気持ちと同情してくれる人の気持ちに明らかな温度差があるということ。
かといって第三者、まして釣りをしない立場から見れば"釣り"="釣ってなんぼ"、all or nothingの世界という印象になるのは尤もな感覚だと思うし、おそらくはそう考えるアングラーも少なくはないだろう。
釣りのスタンスは人それぞれ、異なった感覚に理解を得るのは難しいし、そもそも得ようと思うこと自体が間違っているのかもしれない。
しかし"釣れない釣り"、もとい"釣れる事が困難な釣り"だからこそ、そうでなくては味わえない楽しさが存在するという事をせっかくなのでここに綴ってみようと思う。
それは先ずひとつに「考える」楽しさ。
"渓流は美しい。"
原始のままの力強さを感じさせる生命感溢れる森、涼やかな風に瑞々しくそよぐ木々の青さ、岩々に複雑に絡み合い流れゆく穏やかな清流、鳥のさえずり。
渓流釣りとはそういった素晴らしいフィールドで竿を振るという風光明媚な趣味である。
しかし、実際は他の釣りに比べてそんなコンディションの良い状態で釣りが出来るタイミングはめったに無い、過酷な釣りというのが本当のところ。
たった半年のシーズンの中、春は積雪・低水温、夏は渇水と高水温、秋の大水、雨が降れば濁流大増水。
身の危険を感じることは数知れない。
ただでさえ気難しい渓魚をそんな困難な環境下で、その上ルアーで狙うという極めてマゾヒスティックな行為と言えるかもしれない。
たまたま活性が上がった時はさておき、それ以外ではそんな簡単には釣れやしないのだから。
ましてや下手くそな私はまぁ釣れない(笑)
しかし、釣れないからこそ、下手ならば下手なりに釣り人は考えを巡らせる。
川の状態に合わせたアプローチの仕方、レンジ、スピードその他諸々。
しかしそれは誘い方だけの話ではない。
例えば増水でいつもの川が釣りにならなければ、地図を開き想像力をフル稼働させ、過去の記憶の引き出しを片っ端から開け放ち、可能性を求め新たな川を探し、開拓する。
困難な状況があるからこそ未知の川に立ち、実際に自分の目で見ることで経験と知識を重ねることが出来る。
つまり、考え学ぶ楽しさは困難無しには成立しない。
だから私は釣りにならないような困難な状況も有り難いとさえ思っている。
多分、いつでも簡単にいくらでも釣れるような釣りであったなら、こんなにのめり込んだりしなかったろう…。
安っぽい言い方をするならば、それはある種の「冒険の旅」。
大人になってからじゃそうそう体験できない感覚と胸の高鳴りがそこにはある。
そして二つ目に、「渓流に釣りに行く」という行為そのものに含まれる楽しさ。
私は1人の釣行も度々するし、場合によっては釣り仲間と3人で賑やかに行く場合もあるが、基本的には2人で行く釣行が好きだ。
日も出ていないうちに待ち合わせをし目的地へと車を走らせ、初めのうちこそ「今日の水量は…」「気温上がったから活性が…」「あのポイントに去年でっかいのが…」なんて言い合っているのだが、道程は長く、そんなミーティングも空が青く滲む頃には次第に話題が変わる。
互いの悩みや様々な事に対する素直な気持ちが口をつくようになる。
普段言えないことを口にするというのは酒の席ではよくあることだが、それとは全く質が違う。
いい大人とは思えないくらい瞳は澄み、薄紫の空と朱色の光に包まれたその表情は、まるで無垢な少年のようにいつの間にか変わっている。
それは兄貴も、同僚も、上司も、友達も皆同じ。そして多分私も。
心が少年に戻り、無垢な言の葉がお互いの口から溢れていく。
もし話が込み入ると泣いちまいそうになるくらい‥、そんな不思議な時間が幻想的な異空間の様で、私はたまらなく大好きなのだ。
無垢な人の心は、言葉は、かくも美しい。
(捉え方によっては誤解を招くので釘を刺しておくが、私はBLにはさらさら微塵も興味は無い)
そんな道程を含め、例え釣果がどんな結果になろうとも、一回一回の釣行には文字には表せないほどのドラマがある。
それは"釣れない釣り"がもたらす嗜みに他ならないのではないだろうか。
