それでも私は魚籠を下げる

くろね

2012年12月27日 00:44




さて、実は今回はちょっと自分の中では重いテーマ。

Release or Eat (リリースかキープか)のお話。




 渓流ルアー&フライと言えばリリースがもはや無言のマナーとさえ思われる風潮である昨今。

トラディショナルな紳士の釣りというイメージに代表される様に、

この釣りをする人間は確かに他の釣りに比べて自然保護・資源保護の観念が色濃いように感じる。

乱獲をする一部の餌釣師に嫌悪を抱くあまりの裏返しというのも、少なかれそれに含まれているのは事実だろう。


無論その思いは私とて同じ。

出来る限り人工物で川を汚したくない。貴重な水産資源を守っていきたい。。。



がしかし、



それでも私は魚籠を下げる。



簡単に言ってしまえばそう、基本的にリリース派では無いのだ。




実は私は、これまでの人生で魚はずっと苦手だった。

見る分には良いが、食べるのも骨だらけで苦手、触るのも生臭くて苦手、

なんなら釣りどころかそうしたアウトドア全般に苦手意識を持っていた。


しかし社会に出て、自分の趣向を無意識に固めてしまっている小さな自分の背中に気付いてしまった。

世界には色々な素晴らしさがあるというのに、それには目を伏せ、

自分の枠を自分で勝手に決め込んで可能性を遮断してしまっている愚かな己に気付いてしまった。

"折角生かされているんだから、何にでも挑戦してみよう。"

そう決意し、始めたもののひとつがこの渓流ルアーという釣りだった。


始めた頃は特に何も考えず、釣った魚を持って帰ると家族が喜んで食べてくれたのでそれで良いと思っていた。

しかし、少ないながら知識を蓄え始め、現代の河川資源の希少さを自覚し、

私も一時他の方々がそうされているように全てリリースする時期があった。



だが、

手のひらから流れに戻ってゆく弱った魚のその頼りない背中を見て、またもや私は考えてしまった。

その傷が致命傷では無かったにしても、自分は"イタズラに魚に傷をつけてしまっているのだけではないか?"

"食料にもしない、必要としていないはずの「命」を勝手なエゴで弄んでいるだけの行為ではないのか?"


そんな思想の果て、私は"命の責任を取る"という意識の元、

自分がその日食べられる分に関してはなるべく持ち帰り食すという道を選んだ。


ペット以外の動物の命の重さが感じにくい現代、どんなにエラそうな事を言っても私とて例外ではない。

だからこそ、生きた魚体を自分の手で捌き食す事で、そのかけがえの無い命を奪い

”生かされている"事を自覚する必要があると思った。

それでこそこの「釣る」という行為に対して自分の中で「筋」が通ると考えた。

簡単に言えば、

「食う為に釣る」に近い思想。



だがかといってそれでは、「じゃあ必要な分釣ったらもう帰りゃいいじゃん」という話である。

正解!その通り!(笑)

でも悲しいかな理想を頭では考えられてもやはり私も所詮この釣りの中毒者。

そこまで割り切れる程悟ったフリなど出来はしない。(含笑)

やっぱり探究心の湧き上がるまま、楽しみたい!上達したい!


そんな葛藤をしつつ、今は複雑なレギュレーションを無意識に自分の中に設定しつつ、

キープとリリースを区分けしながら釣りをしている。(これも言ってしまえば個人的なエゴに過ぎないんですけどね;)




「いやいやいや、別にそんな難しく考える必要ねーだろ!」と、

釣り仲間にこの話をしたらきっと笑われてしまうだろうけども。



今でも正直リリースしている仲間の横でキープしている自分の行為に、

恥じるわけでも罪悪感に縛られるわけでも無いのだが、やっぱりちょっと複雑な気分ではある。

おそらくリリース派のその仲間達から見ても、私のその姿を見るのは複雑な気分なのだろう。


しかし私は現在、このスタンスを変える気にはならない。




こんな風に面倒な事を細かく考える必要など本当はきっと無いのかもしれないが、

私は小さな事でも考え続ける釣り人でありたいと思っている。











(追記)

あっ、

かつて魚が苦手とかなんとか書きましたが、今となっては純粋に大好物です(笑)

そもそも嫌々食うなんてことしたら魚に失礼ですしねw

立ち上げて間もないのにどろどろディープな内容ばっかりですいません!(爆)

でもこの題材は、自分の考えをまとめるためにもいつかはしっかり文章にして置きたいと前々から思っていたもんで。。。

次は多分アホみたいにゆる~い内容になると思いますが拍子抜けせんで下さいね(笑)


それではまた!ノシ









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